恐らくは誰からも共感してもらえない、私が長年心の中に抱くハリーポッターに対するモヤモヤ感。そして、そのモヤモヤ感からついに解放される瞬間がやってきた!!今日は、長いあいだ私がハリーポッターに向けていた冷たい視線(笑)のワケと、勝利宣言に至った喜びを語りたいと思います。

子どもがハリーポッターに出会ったのはGrade2の後半あたりだったでしょうか。Harry Potter and the Philosopher's Stone (Harry Potter 1)です。当時はまだ知らないボキャブラリーもちょいちょい出てきては、「これどういう意味?」ってよく私や夫に聞いていましたね。小さい体にあの分厚い本を一生懸命のせてかかえるようにして読んでいたことを覚えています。

子どもがファンタジーを活字で読んで頭の中で想像を膨らませる、というのは非常に大事なことです。活字を読んでたくさんのイメージを頭の中で描き、本を読み進めてゆくワクワク感を体験することはことはかけがえのない経験になるはずです。ファンタジーは、子どもが読書をすべきである理由の集大成というか、活字で書かれていることを読むことを超えてそこから想像を膨らませて頭の中でVisualizeする、というまるで全身運動のようなものです。我が家では、すでにVisualizeされた映画をぽん!と見せてやるのではなく、まずは本で子ども自身に読んで「全身運動」をしてもらいたい、その後に本人が望めば映画を見せてやるようにしています。そう。とにかく、ファンタジーを読むことは素晴らしい。そう思います。頭ではわかっているんです。

しかし。

私。ファンタジーを読みません...。子どもの頃流行った「ユニコーンがでてきて冒険に」みたいなストーリーの映画とか...。今さらカミングアウトしますが、好きじゃなかった!!ごめんなさい!タイプじゃなかったんです。人それぞれ好みってもんが違いますから、ファンタジー好きじゃなくても許してね!としか言いようがありません。そして、我が子といえば一冊目のハリーポッターを読み終えた頃にはすっかりそのファンタジーの世界の虜になり、目を爛々とさせて没頭するようになっていきました。実は、私のハリーポッターに対するモヤモヤ感はそのあたりから心の中に現れ始めていたのでした。なぜなら!

長いし重い!!以上。

没頭したとなったら行き先々まで本を持ち歩き、ハリーポッターを手放さなくなった子どもは、はじめは手に抱えて家を出てくのですが、そのうち外出先で「お母さん、ちょっと持ってて。」「ちょっとの間、お母さんのカバンに入れておいて。」が始まります。いやいや。ちょっと、っていう割に合わないほど超大きいんですけど!!自分のカバンに入れて持ち歩きなさい。といくら言っても、「だって、ちょっとだから」みたいな応答。しまいには、「だって重いしさ...」と本人ですら本音を白状する始末。

そうするうちに月日は流れ、Year1からYear2,3,4と巻が進んで行きます。そろそろ他の本も読んだら?という私の提案はことごとく却下。「今は他のストーリーを同時並行で読みたくはないんだよ。」というお返事。普段は日本語の本と英語の本を数冊同時並行で読んでいたのですが、ハリーポッターを読むときはこれ一本に絞りたい!とな。しかしですね。こう何ヶ月もの間、日本語の読書を疎かにすると一気に(日本語が)読めなくなりますよ!という私の提案(脅し...笑)は見向きもせずハリーポッター愛が膨らむ一方。私のモヤモヤは募る一方。私にとっては日本語の読書量を減少させる犯人とすら思えたハリーポッター。(一時期、日本語版ハリポタを読んだりもして試してみましたが、訳語のクオリティーが良くない、とかで結局言語の英語版にすぐ戻りました。)

他の本も読んでよね!

そんな気持ちが募りに募りながら、やはり月日は流れ。とうとう(今んとこ?)最後の本、Harry Potter and the Cursed Child(ハリー・ポッターと呪いの子)へ辿り着きました。もう続編出なくでもいいや。と、心の中で呟いてしまった。私。最後の本は、劇場シナリオ版ということで少しタッチが違って戸惑ったそうですが、終わりは終わり。あの分厚い本を私のハンドバックにねじ込むのは、やめて下さいな。