もうご覧になった方も多いでしょうか。東洋経済オンラインに「帰国子女の英語力格差」に関する記事が載っていました。帰国子女と一言で言っても、渡航先が英語圏が否か、滞在年数、現地で通っていた学校の種類(日本人学校か、インターナショナルスクールか、現地校か)によって取得した英語のレベルには違いがある、という話題の記事です。企業などの海外進出が以前にも増して盛んになった昨今、帰国子女の数も急増しています。彼らの英語力に注目して帰国子女入試の枠を設ける学校も、国内に急増しました。その限られた枠を目指し、帰国子女が戦わなければいけない受験戦争は熾烈を極めています。(当事者のエピソードを聞けば聞くほど... "熾烈な戦い"と表現する以外に言葉がみつからない...)

昭和生まれの私が子どもだった頃に聞いた「帰国子女」と言う言葉の響きが意味するものと、今現在のそれが意味するものには、この10年?20年?で相当の差が生まれてきたのだと思います。では「相当の差」とは何か?私が感じる帰国子女を取り巻く変化とは次の2点です。

まず、絶対数が半端なく増えています。帰国子女そのものの数が爆発的に増えていると言っても良いのではないでしょうか。

東洋経済オンライン帰国子女にもある「英語格差」の知られざる実態」から引用)

また、それに加え「マーケット景況が変わった」ことも見落としてはならないと思います。ここで私が呼ぶ「マーケット」とは、英語という一つのスキルが取り扱われる市場であり、また、英語力を携えて帰国した帰国子女達が入ってゆく受験市場も意味しています。

例えば、英語を話せなる人がほとんどいない場所に置いて「ちょっとだけでも英語を話せる人」の価値は高いに決まっています。仮にその人の英語力が大したことないレベルでも、ハリウッド映画に出てくるような背の高いアメリカ人と英語で言葉を交わしていたら、周りの人は彼を「おお!すごい!」と評価するでしょう。終戦生まれで田舎育ちの私の両親の目線は、恐らくそういう感じだったと思います。無理もありません。そういう環境。そういう時代だったのです。

40代の私自身より歳上世代の方で、当時帰国子女だった人の中にはその後の人生をとても優位に過ごされて来た方が比較的多くいます。帰国後、その英語力を生かし日本国内の受験を優位に勝ち抜いた人。海外渡航経験者であることと英語のスキルが買われ、外資系企業で高給取りの時代を過ごした人などなど。彼らも、彼らを育てた親御さんもその当時の環境の中からベストな選択をたぐり寄せてその時その時を進まれてきたのだろうとお察しします。そして今子ども達が通うインターナショナルスクールには、かつて自分自身が帰国子女であり帰国後にそのインターナショナルスクールに通った経験をお持ちのご父兄も多いです。いわゆる、Alumni(=卒業生)と言うものです。

そして今。今現在の環境はどうでしょうか。私が今東京という都会に住んでいることを差し引いても、英語を話せる日本人の絶対数が世の中に増えていることは一目瞭然です。日本語を話せる英語圏出身者も都心に増えています。国際結婚のケースも急増しています。テクノロジーのおかげで、様々な情報を英語で入手することも容易に可能になりました。要は乱暴な言い方をすれば「英語が話せる、というスキルが希少価値ではなくなった。」ということのように思います。お父さんのお仕事の都合で何年か海外に住んでいたお子さん、というのは身近にもよくある話です。

結果的に、この記事にあるように「海外にいたんだから英語くらい話せて当たり前」という目で見られる帰国子女の数も増えます。したがって、難関校の帰国子女枠を巡る受験には当然ながら「真の英語力の高さ」が求められるようになりました。そして、マーケットの需給の関係により、皆が目指す難関校の帰国子女枠などの狭き門に対して応募数が多ければ、そこには熾烈な競争が生まれるという当たり前の流れに。

次回の投稿では、私がインターナショナルスクールで実際に見かける現代の帰国子女とそれにまつわるお話をしたいと思います。