夏の終わりに、2020-21年度入学のためのインター入試に関する記事を書きました。インター人気の加熱と外国籍家族の東京流入期ということもあり「申し込めば誰でも入学できる状況ではない」というお話をしました。何年も前の話ですが、我が家の子どもに関して言えば、長男は適齢時期に3つのインターナショナルスクールを受けました。最後には、夫が同僚に勧められたスクールを選びました。道を渡ればすぐそこにある区立の小学校にランドセルを背負って通わせたいと願った私と最後まで意見が分かれ、夫婦で対立していた時期でもありました。結局、Homeの国(私の生まれ育った日本)に住む私が折れ、Awayの国に住む夫(日本は、彼にとっては外国ですからね...)の意見を渋々聞いてあげる形に収まりました。セミリンガルになるのが目に見えてるじゃないか、と言ってインターになんて行かせたくない私と、「教育は英語で。って、当たり前でしょ?」というインター派の夫の意見は真っ向から対立し、しばらく壮絶な喧嘩を繰り広げたのは今となってもなんとなく苦い思い出です。

今日は、昨今、国内インター界で感じる「新しい人の流れ」について思うところを記したいと思います。かつてインターに通っていた子どもというのは、もちろん例外もあるでしょうけれど、たいていは「日本の教育システムを使えない理由があって、必要だからインター」に通っていたと思います。日本に限られた年数のみ滞在する大使館や企業派遣の駐在家族の子ども達、お父さんの仕事で外国に住んでいて教育言語が英語という前提で育った所謂帰国子女、そして、逆に数年後には海外へ赴任することを予定している渡航予定のあるご家庭の子ども。親が日本語を話さない家庭の子どもなど。本人や親のチョイスで、というよりかは「Background based need」とでも言いましょうか。置かれた環境や外的要因により「必要だから」インターに子どもを通わせる、というものです。

それに加え、これまで両親ともに日本人のお子さんが義務教育を放棄してまでお子さんをインターナショナルスクールに入れるご家庭というのは、その判断の背景に「日本の教育を見限った結果としてのインター選択」というものだったと思います。「たとえ東大や慶應・早稲田など国内トップ校を卒業したとしても、日本で教育を受けた人材は欧米では通用しない。だから、子どもは早いうちに教育言語を英語にし(インターに入れ)高等教育は欧米で。」という信念とプランに基づいた動機を持って、日本の教育を放棄するという選択をとっていたと思います。各言う私の夫も子どもを日本の教育システムにはのせずにインターに通わせる動機について「自分は日本語を話せないし、子どもにも自分が受けたのと同じように英語をベースの言語とした教育を」という理由に加えて、次のような彼なりの信念を語り、日本の教育を避けたい理由として挙げています。「東大(などの日本では高学歴とされる)卒の同僚でマネジメントレベルまで出世した日本人達と長年一緒に仕事をしているが、彼らはマネジメントやリーダーシップのスキルが皆無。エクセルシートの細かい数字の中から小さな間違いを見つけ出すような仕事や既に作られたマニュアルに正確に添うような仕事は上手にできるが、大きな枠で物事を見て分析をすることができない。日本人同志の狭い社会でしか社交できず、西洋人の前であからさまに萎縮してしまう。日本国内のこととせいぜいアメリカの出来事くらいしか知識がなく、社交時の会話において話題が極めてPoor。」と。(散々の言われよう... 泣 でも、これが彼の個人的な経験に基づく意見だそうです。)

しかしこれに対して...

ここ数年のあいだ、国内インター界に流れる人々の中に「これまでとはまた違った動機を持ったファミリー像」が増えて来ているように思います。新たな人の流れです。

それは、「“高等教育を必ず欧米で”というような長期的な計画を持たず、また、“学習言語を長期的に英語に据え欧米の大学受験を見据えて遜色のない英語力を絶対に身に着ける”というような確固たる信念も長期的なプランも特に持たずに」インターを選択するファミリーです。たとえば、一見全くもって方向性が違うであろう「難関私立小学受験」と「インター受験」を両天秤にかけ、「聞こえの良い名前の学校、ブランド校であれば日本の私立小であれインターであれ、どちらでも良い」と考えるようなファミリーです。重きを置く教育の価値観やどの国の大学を受験するのか、などの将来設計が全く異なる二つの違う道の重要な分岐点であるにも関わらず、そう言った考え方をする日本人ファミリーは増えているように感じます。

背景には「将来的に欧米で高等教育を受けさせる予定なので、小さい時からインターへ」という考えではなく、「インター育ちであることや英語が得意であることをアドバンテージにして、日本国内での受験を有利に立ち回りたい」という考えがあるようです。実際に、入試の際に国内インターナショナルスクール育ちの生徒を「帰国子女枠やそれと同等のもの」というような枠組みで、一般の生徒とは違った選考方法を設ける私学が増えつつあります。大学においても、国際バカロレア(IB)を入試ルートの一つとして認めるところが少しづつ増えているので、インターでIBを選択した生徒がそれを国内の入試で活用する道が開けて来ているせいもあるでしょう。また、以前よりもAO入試枠を増やしている学校もあるようなので、こうした「全然英語を話せない典型的な日本人よりも、英語ができることを売りにして」少しでも偏差値の高い大学に滑り込みたい、というような思惑が働くのかと思います。

個人的な意見にすぎませんが私が思うに、こうしたパターンのお子さんは10歳前後あたりからそれ以降、母国語確立や学業の面で難しい局面を迎えることが多いように思います。大抵の場合、小学校高学年くらいの時期から日本の(いわゆる私立中学受験対策用の)塾に通うお子さんが増えます。日本の公立小などに通う同年代のお子さんと比べるとインター独特の算数の遅れや数値化した成績がつかないことへの焦りなどから、親が心配になり始めて子どもを塾に通わせ始めるのです。普段インターで生活しているお子さんがこの日本の塾カルチャーに馴染んで「算数などの教科の成績をあげる」という目的を達成できるかどうか、という点についてはあくまでそのお子さん次第。必ずしも成果を上げられない場合も多いようです。日本語(つまり塾では「国語」)の教科では、日本の学校に通っているお子さん達に比べインター育ちの日本人に勝ち目はなく「日本語は自分の弱点であり、Disadvantageである」との認識を強めてしまう場合もあります。逆にインターの勉強は、日本のそれとは違い、調べ物をした内容をプレゼンにまとめ発表するようなプロジェクトベースのものが増えるような時期に差し掛かります。日本の塾で学んだことが必ずしも直結しないようなものです。家庭内に英語のネイティブスピーカーがいないファミリーのお子さんは、英語力(単に日常会話という意味でなく、エッセイライティングや読解のようなアカデミックの力)で差がつき始める時期でもあります。将来的に欧米の難関大学を受験する、というような着地点のプランがあるわけでもないので、この点については親も割とリラックスしたまま学年だけが上がってゆく、というパターンも多いです。現実的には、このようなプロファイルの生徒の数の割合がインターのクラス内で高まっていくと、そのインターそのものの英語のレベルは低下します。

このような現象について「インターで学ぶことによって自分の子どもには将来欧米の高等教育の受験へ向け相応の学力や英語力を身につけて欲しい」と願う親にとって憂うべき事象であると感じる人も中にはいます。子どもが同じスクールに通っていても、このように将来の設計図が全く異なる隣人に遭遇することが多々あります。「他人は他人、我が家は我が家」という教育方針を確立して実行することがインター生を持つ親として極めて重要だ、と私が思う理由はここにあります。