子育てをしていて日々大きくなる子ども達を見ていると、「嗚呼!小さい頃はもっと楽だったのに!」「前はもっと可愛かったのに!」と嘆きたくなる時があります。実際には、子どもが小さかった頃は小さかった頃なりの難しさや苦労があったわけで、別に子どもが小さければ子育てが楽だった訳ではなく...。「昔は楽だったのに今の大変なの!」と嘆くことがフェアでないと頭では良く理解しているのですけれど。そう言いたくもなる時期やなかなか上手くいかない時期ってのは、やってくるものですね。

子どもが母親の言うことを良く聞き良く従う時期というのは、低年齢の一定の時期あるように思います。「良く聞き良く従う」というといささか直球過ぎて聞こえが悪いことを承知で言いますが、そういう時期は私の子育ての中でも確かにあったと記憶しています。私は二児の母に過ぎずサンプル数としては少ないかもしれません。でも、概ね幼稚園児のような年齢から小学校低学・中学年くらいの時期がそれに当たる年齢だったように思います。

それ以降大きくなると子ども一人一人が1人の大人のように人格と意思を強く持ち始め、それを思う存分に主張してきますから、なかなか一筋縄には行かなくなってきます。小学校中学・高学年くらいになると、学校の人間関係や先生との関係、学業、習い事などなどそれぞれの世界で深みや複雑性を増してゆくのでしょう。でも心はまだまだ小さい子どもに過ぎませんから、色々な面で無理が出てすることも多々あります。「頑張ることはえらいこと。」「頑張れば報われる。」「約束を守ることは良いこと。破ることは悪いこと。」「良い子のみんなは、皆が皆約束を守ります。」という保育園時代に教わり自分の根底を流れていた概念が、「頑張っても報われないこともある。」「報われる人と、報われない人がいる。」「ルールを守る子もいれば、破る子もいる。」という人生経験を子どもなりに積んでいる最中であり、その過程の中でなかなか消化できない気持ちや雑念みたいなものを噛み締めていることもあるのかと思います。それに、もう大きくなると子ども自身が「やらなければならないと分かってはいる。でもまだ終わらせていない。」などと頭で理解していますから、まだ手をつけていないことへの「後ろめたさ→逆ギレ」のような態度をとることもあります。

ワケもなくイライラしている子どものおかげで私の方も朝からイライラ。怒鳴りつけながらまるで家から追い出すように登校させる日々に疲労困憊。お願い!何日か距離を置かせて!!そう言って逃げ出したくなるようなことも正直何度かありました。そうかと思えば、目を輝かせながら将来の夢を語り、正義を語り、世の中に貢献したい意思を語り... 子どもというものは本当に希望の塊なのだ。と思わされるような態度をとることもあります。

どちらも本当の子どもの姿なのだと思います。でも、こうした両極端な両面を受け入れるのって、母親の私にとっても容易なことではありません。私だって人間ですから、ついつんけんして子どもの粗探しをしてしまうこともあります。彼らとどう付き合うか、どう向き合うかを悩むこともよくあります。

塾経営をされている今村暁さんという方がお書きになった「子どもの成績を決める親の習慣」が参考になりました。この方は希望を失った無気力な不登校児にどうやって夢を持たせてあげるか、というところが出発点となって塾を始めたそうです。この本は、こうすれば算数の点数が伸びる、とか、特定の教科の学習法や受験戦略などのノウハウ本ではありません。「習慣教育」という教育方法を提案している本です。

「親がどういう習慣を持っているか」「(その子が)どういう習慣を持った家庭で育っているか」についてよく考えさせられる本です。子育てをする中で「子ども本人が意欲を持てるようにもってゆく」って本当に難しいことです。子どもが低年齢のうちは、漢字1つや九九の暗記を強引に覚えさせることは可能ですけれど、それ以降大きくなると親の独り相撲や小手先の強要で得られる成果は極めて短期間しか続きませんし、たかが知れてます。勉強にしても何にしても「子ども本人が」意欲的にいられるか、プラス思考の良い習慣を持てているかがその後の成長に深く大きく関わっているのだろうと思います。それを引き出すのが親の子どもへの接し方なのだと思います。

「ワケもなく」イライラしている我が子にムカつく自分。でも、そのイライラは本当はちゃんとワケがあるのかも知れませんね。見方や接し方を少しづつ見直してみて、親として良い「人と、子どもとの接し方習慣」を身に付けたい、と思いながら読んだお正月の一冊でした。